― 死 ―

―6月24日早朝  母が死んだ―


 母が難病に冒されていると知ったのは、もう10年くらい前のことか、当時はまだ父も健在だった。
父が死に、祖父(母の父)が他界してなお生きた母は、その間、文字を書く力を失い、歩く力を失い、言葉を失った。

 いずれ訪れるであろう死を前にした気持ちはいかばかりのものだったろうか・・・
俺は母ではないからわからない。ただ、まだ母が実家にいた頃、夜中に突然大きな叫び声をあげている母を知っている。それは夢にあらわれた、“訪れるもの”への恐怖だったのだろうか・・・


 母は死んだ。深夜に嘔吐したものが気管に詰まったための窒息死だそうだ。
聴けばこのような患者は、肺炎に苦しんで死ぬことも多く、それに比べれば楽に息をひきとることができたのではないか とのこと。せめて楽にいけたのならば、救いなのだが・・・


 俺にとって、母とは天敵であり憎しみの対象であり、世界で唯一本気で殺したいと思った相手だった。
ただ、それと現実は違う。
やはり母の死には悲しみがあった。
俺は男だから、人前で涙は見せなかったが、遺骨を抱き、自宅に辿り着いたときにはやはり涙が止まらなかった。


 今、母の遺骨は俺のすぐそばにある。


 先日父の命日の件でも書いたとおり、俺は仏教徒ではない。
死は死であり、死んだら“無”だと思っている。
だから遺骨や位牌に母の魂がいるとは思えないし、線香を焚いたところでどうなるかなんてわかりもしない。

ただ、もし、仮に、それでなにか母にとって“いい事”があるかもしれないのなら、とりあえず、やれることはやっておこうと思っている。


 昨日は父の位牌と母の遺骨を前に、酒を呑んだ。 別れの酒だ。


あと暫くはこの件で動き回ることになるだろう。おかげで沖縄へも行けそうにない。
色々いいたいことはあるが、とりあえず今日ももうつかれた・・・

それにしても・・・

これで・・・俺も もう独りだ・・・・